▲ 숲속으로, 53.0×40.9㎝ oil on canvas, 2012

 

木という一つの素材を集中的に探求する画家は少なくない。木というありふれた素材に関心を持つのは、その形態的な美しさだけでなく多様な造形的な変奏が可能なためだ。幹と枝、そして葉に区分される木の形態は絵画的な素材として備えるべき条件を完璧に具備している。しかも大地にしっかりと根をおろしている頼もしい形態は生命の象徴として申し分ない。すなわち内容を入れるのにも適した素材である。

リュ・ヨンシン(ARTIST RYU YOUNG SHIN, 서양화가 류영신)は初めての個展以後ずっと木だけを素材にして作業してきた。そうかといって実在する木の形そのままを再現する方式ではなかった。幹と枝、そして葉で構成された木の形態を受け入れるものの、独自の形式を模索してきた。したがって、省略および単純化または歪曲という方法で再解釈する形だった。すなわち、木の形態は存在するにも関わらず、実際の感じとはまた別の絵画的なイメージに変えるのに意味を置いた。

 

▲ 90.9×90.9㎝, 2010

 

柳栐慎 作家(류영신 작가)の場合のように実際の木が事実性から自由になったとき、画家の造形的な想像力は翼を得る。木が持っている固有の形態を維持する中でより自由な造形的な解釈で個別の形式美を探すことができるからだ。実際に彼は木の形状を基本として、実際とは厳格に異なる造形美を貫徹しようと努力してきた。このような処理方式を通じて、最近は個別の形式美にさらに近接している。

最近はシラカバとともにポプラという二種類の木を扱っている。もちろん単純化して省略的なため、二つの木を分別するということは特別な意味がないのかもしれない。それにもかかわらず、実際の作業でその形態的な解釈では大きな差を現わす。シラカバの連作が写実的な空間に留まっているならば、ポプラの連作は平面的な構成を通じて現実と遊離した現代的な造形空間を占有する。

 

▲ 53.0×40.9㎝

 

シラカバの連作は枝を省略したまま幹と葉だけで構成される。明瞭な形態を示す白い幹と生い茂った葉が調和する極めて簡潔な構成だ。全体的な印象は単純で簡潔だが、そこには写実的な空間が感じられる。実相の圧縮および要約という造形語法を適用していることを語っている。言い換えれば、リアル感を遮断するのではなく、最小限のイメージだけで形態を圧縮することによって現実的な空間が維持されるわけだ。

彼はここでシラカバを擬人化している。だからだろうか。大きな幹がまっすぐ立ったり、または、あちこちに曲がった形はまるでロシアの女性を連想させる。白いシラカバがロシア女性の白い肌を象徴するという事実を知っていれば納得するに難しくない。柔軟でなめらかな形態で描写されるシラカバの連作は幻想的な雰囲気を引き出す。木である以前に美しい女性の形状をなしているという点で彼が目指す造形世界を察することができる。

△シン・ハンソプ(美術評論家)/신항섭(미술평론가)

 

▲ 53.0×40.9㎝

 

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